幸せと不幸。
どなたも幸せのある生活を送りたいと思っていると思います。でも幸せというのは思っている以上に厄介なもので、一時的に幸せであっても、幸せであり続けるにはちょっとしたルールがあると私は考えています。
ではその幸せであり続ける方法とは何のなのか?
解説していきたいと思います。
幸せを継続する方法
結論から言うとこの2つのルールを守れば幸せは継続出来ると考えています。
- 隣の芝生は青くみえるらしい、妬みや不幸から積極的回避
- 幸せという基準は自分だけのモノ
不幸は連鎖する、不幸は引っ張られる
不幸というのは悲しい事です。
更に悲しいのはその不幸の話を聴くと聴いた人も不幸になります。
話を聴くと沈みがちになりますよね。その不幸が自分にもありえると考えるからです。
考えるというのは自分の中で取り組むという事であり、『思考は実現する』という名著があるように、不幸を思考することによりその不幸に引っ張られてしまいます。
結論として、極力不幸そうな人、不運の話が好きな人には関わらない、積極的回避が最も最善の処世術だと考えています。
自分が幸せだと思っているとそのように不幸好きな人は、幸せな人を発見すると不幸のオーラで包み込み幸せを台無しにします。これがルールその1です。積極的に不幸の蜜が好きな人には関わらない事です。
ですので『能ある鷹は爪を隠す』のと同様に『幸せは隠すのが吉』です。
世の中には不幸は最大の蜜と言われるほど自分には関係ないことでの不幸が大好きです。
人というのは不思議なもので、自分より相手が幸せそうだと妬みや不幸になれば良いのに。。なんて思想がまかり通っています。
中には幸せを本当に喜んでくれる人もいますが、そういった人は経験上圧倒的に少ないのです。そのような友人がいれば大切にしましょう。
幸せの基準
そもそも幸せとは自分の中での幸せであって自分が幸せと思っていればそれで十分です。
あえて、周りの人に私は幸せなんだと言う必要もありません。
私はこんなに幸せなんだ!とアピールする必要はあるのは自分自身が不幸だと思っているか?周りに思われているか?です。
私はこんなに幸せなんだ!とアピールしたい人は残念ながら私の基準では幸せとは言えません。
なぜなら周りから幸せだと思われる事が幸せというのは本来の幸せではないと思うのです。
本来の幸せとは自分だけで完結できる幸せです。話し相手は必要ありません。
もし、相手に言って満たされる幸せならそれは自分の基準にとっての幸せではなく、相手の基準にとっての幸せという事になります。土俵が周りになっています。ただ相手よりも上回りたいだけ、自慢したいだけという事になります。
また、不幸だと周りに思われているとしたらそれは大変喜ばしい事です。
自分より不幸な相手に対してほとんどの人は優しく接してくれています。実際は幸せなのに。。。
なので幸せで更に周りからも優しくされるので状況としては素晴らしいです。だからこそ幸せを隠す事は吉なのです。継続して幸せになる事ができます。
【具体例】投資についての余談
シトロは投資で成功しています。一般的に言うと個人投資家で大幅に利益を得られる人は少数です。
幾多の経験と考察により勝ち得た利益です。
しかし、投資での利益をよく思わない人もいます。労働で得ていないお金は大したものではないという風潮です。
だから私の場合、あえて自分から投資の話はしません。上記のような話になりえる可能性があるからです。
可能性があるなら積極的に避けるのが吉です。言い争いは億劫です。
もし、読者が大きな利益が出た場合、それは確実に努力をした結晶です。でなければ混沌とした投資の世界で、しかもたった1人で利益が出ようはずがありません。自分の中での成長が最大の喜びであると私は考えています。